(荒木)初参加、種まき

「今度藍染しに行く。」「え、いいな。」「一緒に行こうよ。」こんな些細な会話から、私はこの活動に参加することになった。以前から藍染に興味はあったが、やったことはなく育て方も作り方も知らない。一般的には藍を育てる人、スクモを作る人、染める人と別れているが、それを種蒔きから染めるところまで全て行うと聞き、是非やってみたいと思った。しかしなぜ福島で育てるのか、この時はこの企画がどういうものか全くわかっていなかった。

4月30日、説明会があるということで浅草の大塚ビルという所へ向かった。東京の、しかも中心の方にこんな所があるのかと思うほど個性的でジブリに出てきそうな素敵な家だった。集まっている人たちは自分より大人。会話を聞いていてもしっかりしているとはいえない私が来て大丈夫だったのか?と少し不安だった。そして映像を見たり話を聞いたりして、どうやら大玉村を藍の里にするという、大きなプロジェクトであるとわかってきた。ただ藍染に興味があるだけで大玉村についても福島の現状についてもほぼ無知である私が参加して良いのか。話を聞きながら悩んだ。私は岡山県出身で二浪して藝大の工芸科に入った。二浪目から上京して予備校へ通った。東京は情報や人やモノ、そしてチャンスで溢れた街だと感じた。地元では出来ないこと、なかなか関わる機会がない人たちと出会える機会がひょっこりやって来たりする。この企画もチャンスだと思った。一ヶ月前まで受験生だった自分が、すでに専門的なことを学んだり仕事をしたりしている方々に交じって、大玉村に新たな産業をもたらすという大きなプロジェクトに参加できる機会など今しか巡ってこないと思った。私は藍染、またものづくりにおいて技術もなければ知識もない。東京藝大の一年生という肩書きがあるだけだ。何が出来るかわからない。それでも私は参加したかった。自分が将来、芸術、ものづくりを通して地元を活性化したいと考えているのもあり、この機会を逃さまいど思った。

大玉村は美しい村だった。岡山も自然だ田舎だというが、この村の美しさには負けたな、と思った。彦ハウスもまた素敵な所だった。囲炉裏があるかと思いきやグランドピアノにシャンデリアが吊るされてある。初めて会った村の人たちも温かく迎えてくれた。彦太郎さんのお話は魅力的だった。食べる物から住むところまで自給自足で、ワインまで作ると言っていた。夜は星が綺麗で、天の川も無数の星が見えるらしい。東京では星はなかなか見れないので、いつか泊まりがけで行って見てみたい。種植えはあっという間だった。余った種と土を分けてもらい学校でも育てることにした。村の人との話し合い中、プロジェクトの全容もいまいちつかめておらず何も下調べしていない私はただただ聞いていることしかできず、対話の中で気になった言葉を書き留めるだけで終わってしまった。その後畑を見に行った。いいところだけど名産となるものがない、と村の人は言っていたがこの自然で十分名物となるのではないかとうほど豊かな土地だった。貯水槽の、下から水をろ過する発想には感動した。自然と共に生きるのに知恵は欠かせないなと思った。

東京への帰りがけの話し合いでもいい案が思い浮かばない。思い付いても産業とすることやコストや技術のことを考えると何も言えなかった。

東京に戻ってから何が良いか考えたが実現できるかわからないものばかり思い浮かぶ。今の私は村についても藍染についても知らないことが多すぎる。今回の訪問を通じてまずは知識をつけようと思った。幸い、藝大という恵まれた環境にあるし、ある程度は自分で学べる。

そして、佐藤さんのレポートにもあったように何でも記録するのが大事だと思う。何気なく書き留めた言葉が後々考えるとき役立った。

本当に自分が加わったところでどんな役に立てるか分からない。だが、村の人とのやりとりを通じてものづくりをすることは楽しみであり、自分なりに模索していこうと思う。

2016年5月18日

荒木千晶