渡辺未来です。6月26日から30日までの5日間、大玉村に滞在して藍染めの実験などやっています。滞在中のできごとを忘れないよう、とりあえずここに書きますね。
<26日>
東京駅から郡山駅までの高速バス2300円。所要時間4時間くらい。郡山から本宮までJRで15分、240円。
16時ごろに本宮駅で剛平さんとムギと待ち合わせ。軽トラで彦ハウスまで連れてってもらう。彦ハウスには梅がたくさん並べてあった。今年は大玉村は梅が不作で、わざわざ買ったものだそう。
夕飯の買い出しに産直所まで行った。陶芸の土が買えるところは無いかと、産直所のレジで尋ねると、本宮の方に陶芸の工房があるとわかった。産直所は、夏の間だけ6時まで営業。半額の野菜など購入。
陶芸の工房は、本宮荒井のローソンの隣の隣にあった。陶工の氏家寿男さん(宗像亮一に師事)が迎えてくれた。大作がたくさん飾ってある。とても気さくな方。カンランシャや彦ハウスの紹介などすると、彦さんの親戚だった。益子の上質な水簸粘土を5キロ分けてもらう。和田小学校と大山小学校の図工の先生もいらしてたので、藍染や7月のイベントの話などするととても興味を持っていた。
その日の夜、7月のイベントの内容など話し合いながら、益子の粘土3キロ分でチャイカップや土笛などをつくった。剛平さんはイベントに向けて、竹で観覧車を作りたいと言っていた。
<27日>
朝起きて、よしこさんのカレーを食べたら彦さんの畑へ。畑の印象はまだ全体に茶色。この前移植したばかりだからしょうがないけど、、プランターで育てた苗はまだひょろひょろしてるのも多い。枯れてしまってるものもあったので、下の畑に地植えしていたものを移植した。地植えの苗はプランターよりも一ヶ月遅れで植えたのに、断然発育が良くて追い抜いている。藍よりもスギナが元気だったので、出来るだけ抜いた。
助成金のための書類に、村民の方の署名が必要で、伊藤浩子さんのところへ行く。いつかアルパカやリャマの毛を染めて製品つくりたいねなどと話をする。浩子さんの畑の藍は育ちが良かった。
夜につくった粘土の器などを持って、また氏家先生の工房へ。乾燥から焼成までお願いした。以前後藤節子さんのところでいただいた粘土も見てもらうと、鉄分が多いから、粘土よりも、釉薬にいいかもしれないと伺う。試しに柄をつけてみた。木灰も、釉薬の原料になるとのことだったので、藍の茎を燃やして灰にしたらいいかもしれない。
氏家先生から、ろくろ回しの丁寧な指導を受ける。ろくろの回転をうまく扱うための、会津式のやり方を教えていただく。一緒に何かやれたらいいですね、と嬉しいやりとりがありました。
コンビニで、イベントのチラシの修正をえれなさんに送る。署名をもらいに後藤節子さんの家を尋ねると、ご不在で、お嫁さんとお孫さんにしかお会いできず。書類を渡して、畑を見せてもらう。剛平さんは北海道へ。
夜、プランターに残っている苗の葉を使って生葉の叩き染めの実験をした。いまのところ使っている道具、コンクリートの球は、東京で河原くんと作ったもの。広い面積に叩き染めをするのは大変なので、もっといい道具をつくりたい。
<28日>
朝、夜に染めた布を天日干しする。叩き染めで黄緑色になったところは、天日干しにすると消えていく。彦さんとよしこさんが買い物に行くのに便乗させていただく。よしこさんが常連の本宮の本屋さんで、次号のソトコトの宣伝をする。らーめんをご馳走になる。
服飾デザイナー渡辺未来の大玉村滞在記3日目。歓藍社の活動する福島県大玉村は、南米ペルー共和国のマチュピチュと友好都市を結んでいます。実はマチュピチュ村の初代村長は、大玉村から移住した日本人で、歓藍社のリーダー的存在、野内彦太郎さんとも親戚にあたります。
野内家のお風呂をお借りする。お風呂から上がると、芳子さんと、コーラスの練習から帰宅したばかりの彦太郎さんとがワインを飲まれていて、ご一緒させていただく。
彦太郎さんが、アメリカにお住まいの娘さんご一家を訪ねた際に、ペンシルバニア州でアーミッシュという民族、共同体を見たというお話を伺う。アーミッシュは元々ドイツからの移民で、移民してきた当時、今から150年くらい前の生活様式で暮らしているらしい。電気を使わない。馬車を使っている。自分たちで生活の道具をつくっている。あとで調べると、意外なことに、アーミッシュの人口は増えているらしい。彦太郎さんはまた来年アメリカに行く予定で、以前とどう変わっているか確かめたいそうだ。
彦太郎さんは、ペルーにも何度か行っている。23年前と、15年前と、今年。
「アルパカやリャマの毛を買って染めたいなんて話があったけど、難しいんじゃないかと思う、もう業者が囲ってしまっているから、入り込めないんじゃないか。かといって、アルパカを一頭買って大玉村で育てても、寒いところだから上質な毛に育つんであって、持って帰ってきたら多分ダメだろう。」
ペルーから持って帰ってきたという、土器を見せてくださる。土産物ではない、本物の、インカ文明の土器。写真のような、複雑な形をしているのに、すごく薄い。「ペルーの粘土は、コンクリートよりも強いんじゃないかと思うんだ、こんな形、コンクリートでは作れない。家だって、日干しのレンガブロックで、すごく丈夫なんだ。天井も日干しレンガで、降水量が年間で3ミリだから、屋根が三角じゃなくて平らなんだね。でも今年行ったとき、ほんとに珍しいことに大雨が降ったんだ。滅多に降らないから、山から土砂が崩れてきて大変だった。俺も手伝ったんだけど、土の質が驚くほどだった。粘土が堆積してるところに水が勢いよく流れてくると、日本だったら土ごと流されるけど、ペルーはそこでピタッと止まった。すごい土だよ。こんな大雨が降ったのは、エルニーニョ現象だからなんだ。今年は日本でも8月と9月はものすごく暑くなるらしいよ。」彦ハウスに戻って、叩き染めのつづき。
<29日>
あさ6時から畑の雑草取り。茎や根を齧ってしまう夜盗虫を見つけたら潰す。むしりながら、彦さんと藍染めの話になる。
(彦)「何を染めるかが重要だね。苧麻でも植えるかい。」
(未)「藍を育てるだけでも手が足りてないのに、また畑仕事を増やしちゃう。」
(彦)「俺の小さい頃は、羊も蚕も飼ってたよ。ホームスパンやってたんだ。織り機も昔はあったけど、公民館にやっちゃった、惜しかったな。」
(未)「繊維を育てるのではなく、裂織りのように古布をリサイクルして染めて新しい製品をつくったり、単に古い服の染め直しはどうでしょう」
(彦)「濃紺に染められるなら、染め直しはいいかもしれないが。」
そのあと、朝ごはんにご一緒させていただく。
自転車で大山小学校へ。ローソンの更に先。えれなさんがつくったチラシを印刷していく。図工のサクマ先生、校長先生とでカンランシャの話を聞いてくださる。校長先生の小さい頃、家に羊小屋があったし、蚕を飼ってる家も近所にあったし、ホームスパンって流行ってたみたいだという話になった。
産直所に行くと、この前陶芸の工房を教えてくれたお姉さんがまたいたので、和田小学校の場所を聞く。車で15分くらいというので行こうとしたが、山を越えなければならなかったのでやめた。新しく、広い産直所ができるらしい。竣工は今年の12月となっていた。広くなったら経営がうまくいかなくなるんじゃないかと浩子さんが言っていた。
日中はすごく暑い。昼寝。
剛平さんから、素焼きの染め治具が届く。早速試してみる。柄はいい感じだが、太陽がつくった方の治具が早速欠けてしまう。
浩子さんががやってきて、トマトと、自家製のルッコラをくださる。肉厚で、味が濃くかなり美味しい。産直所に卸すために、放射線量の検査に出してきたという。基準値未満の判定だが、数値までは出してくれない。
畑を見にいく。紅葉していたり、枯れて青くなったり、藍がもつ色は青だけじゃない。前に叩き染めしたところが、紫になっていた。夜、また叩き染め。
<30日>
7月のイベントの後援の申請書類(助成金の書類じゃなかった)を役場まで持っていく。ついでに和田小学校のサトウ先生に手紙を出す。帰ってきて片付け。お昼ゴハンを、芳子さんと彦さんといただく。カレーと漬物と筍の味噌汁。野内家にはいま子猫がいる。
後藤家の粘土で人形をつくる。本宮の駅まで彦さんの車で送っていただく。車中で、今度みんなが来たら何をするのかという話になる。染めの道具をコンクリートでつくるというと、直径90センチのコンクリートの皿を、彦さんが持っているという。あとで写真に撮ってラインで送ってほしいとお願いした。