(はしもとさゆり・岡啓輔)一生ズボン

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このズボン、冬はいつも履いている。友人に呼ばれたときとかの正装用のこれと、飛 行機とか社会的な正装用のズボン、作業ズボン3枚を交互に履いている。今日も夕方 まで履いていた。基本的には破れそうになったところを縫っている。当て布もしてい る。裾のところは、縫っているうちに布が上がってタケが短くなったところを、2回 伸ばした。数えたことはないけど、たぶん2,000時間ぐらいかけてるかな。

最初は裁縫のことが全然わかっていなくて、木綿の糸で縫ってたけどそれはほとんど 消えちゃった。化繊糸にしてから、擦れてなくなるということはなくなった。縫い物 のことは何も知らないから、小学校の家庭科の知識で縫う。たぶん”返し縫い”ってや つかな。わからないけど、針っていう道具を使って、糸と布の摩擦で抑えるイメージ だけはある。裏の玉止めもあまりできていない。止めるときは、糸が短くなってて「あ っ」ってなることも多い。縫う技術もないし、糸や針の選択もだいたいわかってなく て間違ってる。時々、太い針で力を込めて毎日やってると指から血がでてくることも ある。今は一番太い針はやめて、そこそこ太い針で指ぬきを使ってグイグイ押してる。


服を買わないと決めた

サラリーマンをやめた21歳のころ、「もう一生服は買わなくていいな」と思った。 その頃はバブルだったし、みんな服をたくさん捨てているイメージがあったので、も う買わなくていいなと。それまでは、いわゆる”クラスで一番のオシャレさん”だった と思う。地元にいい洋服屋さんもあって、色んなことを教えてもらった。それがサラ リーマンをやめたあと、もうこのあとは一生貧乏かなと。それで服にお金をかけると おかしくなりそうで、買わないと決めるのも面白いかなと思った。

買ったけど似合わなかったジャケットとか、アジアとかで買ったTシャツとか、上に 着る服はもらえて生きていたけど、ズボンは中々もらえなかった。ズボンもらえない からどうしようかなと思いながら、モンペをはいていた。母ちゃんが久留米絣の地区 に住んでいて、モンペを縫うバイトをしていたから。母ちゃんは化繊の安いモンペを たしか1着8円ぐらいで縫う内職をしていた。はじめて金額を聞いたときはえ~って 驚いたけど、母ちゃんたちは1時間に百数枚のもんぺを工業用のミシンでばーばー作って意外に儲かってた。だから家にモンペはたくさんあった。モンペ、それかナイキ のナイロンパンツ、シャカパン。このズボンは、嫁のお兄ちゃんがサーフショップを 経営してて、売れない商品をもらった。それが17、8年前、1999年ごろ。

7、8年履いたあと、このズボンは一回捨ててた。でも服は買わないというのを続け ていたので、履くものがない。嫁からはもうモンペはやめてくれと言われていた。蟻 鱒鳶ルを建てはじめてた頃だったし、服装ぐらいは普通にしてくれと。遂に俺もユニ クロで買うかと考えたこともあったけど、ユニクロで買うぐらいだったらズボン縫う か~と思ってはじめたのが最初。きっかけのひとつに、テレビで田中忠三郎を見たこ ともあった。運命的っていうほどでもないけど、田中忠三郎のBOROを見て「よしよ し俺もやろう、これでズボンがないぞ問題も解決するぞ」と思った。


縫うほど好きになる

縫い方はわからなかったけど、まあ大丈夫かなと思って縫いはじめた。はじめの頃は 破れて縫ったことがまるわかりの、だささMAXな状態。かっこ悪いを通りこして、 気持ち悪いの時期もあった。友人に「そのズボン怖いから近寄らないで」と言われた こともある。人間がやった感、人間の意識が入りまくってる感じ。今の自然にできた 感じはなかった。

直線があるのは、裏の当て布。大きめの当て布を当てている。ポケットは今、穴が空 いたままだけど、このあいだ清澄白河でもらったお相撲さんの着物の布当てた。時々 丸く縫ってみたり、ここは直線で縫ってみたり。今でもどっか必ず破れだす。このズ ボンと、あとカバンも破れるので縫っている。夏は半ズボンも。あれもなかなかいけ ている。基本的には自分は色弱なので色はわかってない。赤と緑の違いはなかなかわ からない。

ちょっとよかったのは、このズボン好きでもなんでもなくてもらったから履いてた。 縫うとすきになるのは、もちろん。最近このズボン専用のベルトも買ってきた。単な る革のベルトだけど、この間ローマのパンテオンに行ったときに買ったもの。パンテ オンは、建築がすごくよくて、今俺の建築ライフの中でナンバーワン。パンテオンの 裏で何百年もやってる革細工のお店があって、じいさんがやってる。そこでベルトを買った。


ビルとズボン

毎年12月30日に「ビルとズボン」という展示をやってる。今年は4本ぐらいズボンを ぶら下げて、(セルフビルドしてる)ビルの進捗写真と一緒にかけている。蟻鱒鳶ル を作っていて、あんな仕事してたら、聖人にならなくちゃいけない感じがある。聖人 になるぐらいに精神を高めないと成し遂げられない感じ。アントニオ・ガウディって いう人は、それまではイケイケゴーゴーな人だったのが、サクラダファミリアを依頼 された時に、世俗にまみれた俺じゃだめだと断食して、依頼を引き受けたという話が ある。おれも同じ穴ぼこに落ちている感じがある。おれはそんな風じゃないけど、建 築を作っている作業を終えて家に帰ったあとの暮らし方のひとつとしてズボンを縫 う。嫁と酒飲んでしゃべって、ただただ酒を飲んだりテレビを見るのはつまらない、 かといって体も脳みそも疲れ切っているとき。

ガウディみたいにまじめにはなれないけど、やっぱりこうやって(ズボンを縫いなが ら)「ああ、あそこは今日失敗だったな」「明日はとりあえず掃除してみよう。掃除 して、昼には決断して、はじめよう」とか、そういう考えごとをするのには丁度いい。 部屋はワンルームのマンションなので、嫁がテレビをつけていたり、ラジオをつけた り、音楽をかけたり。山下陽光くんとかも昔から友達で、「途中でやめる」とかいい なと思ってた。陽光くんが服作りをスタートした頃のを持ってるが、糸がぴろんぴろ んに出てる。やる気ないな~としか感じたことがなかったけど、それを陽光くんは「途 中でやめる」というブランドにしはじめて、「あ、途中でやめてるんだ」と思った。 ああいうものを見て、下手でもいいなと思った。(世の中の)流れとして、それはそ うだと思う。


ズボンとグローバリズムと断捨離

俺が10代の頃は、今みたいなグローバルな世界じゃないので、アイルランドの人た ちが糸を紡いで、こうしてこうして、スーツができる、みたいな。羊はあそこのがよ くて、糸はここがいい、それでいいスーツができる、そういう憧れみたいなのがあっ た。きちんとしたまがいものじゃない服がたくさんあった。今は田町でこう、毎朝サ

ラリーマンの服とか見てると、ぱっと見、俺が憧れたころと同じデザインの服を着て るんだけど、内実はどうかというと、すかすかなんだよね。アイルランドの寒い人た ちが作った服を、アジアの人が真似るようにミシンにコントロールされるように縫っ てる服。俺が信じていた、本物感があるものは消えてしまって、ほぼありはしない。 それを真似たような本物っぽい、値段は1/10ぐらいになったもの。それをみんなは手 に入れられるようにはなったけど「それそんなにほしいの?いらないでしょ」と思う。 昨日丁度、嫁についてブランドのセールに行った。アトリエセールで8割引きのシャ ツを袋パンパンに買っていく。あんなのもどうかと思う。結構高い服で丁寧に作られ てると思うけど、ようはバンバン捨ててる。1年ぐらいで飽きて。俺はなんだかわか らないけど「捨てないぞ」という思いが強くて、捨てないぞと思ってこういうことを やっている。

だから断捨離にもムカついてる。捨てましょうというのを世界中で流行らそうとして いるように感じる。資本主義のシステムのラストは、さんざん作りまくって、平気で 捨てる人たちを育てないとダメ。高級ブランドだろうがなんでもバンバン捨てる。「さ よならありがとう、あなたのおかげで私は素敵な恋愛ができました。さよなら私の洋 服」とかそういうの。捨てましょう文化とか、片付けましょう文化とかに対して、ふ ざけるな、チクショウ、つまんないよと思ってる。


人類の目標と作ることの喜び

今まで何千年か続いてきた人類の目標は、人が腹をすかして死なない国を作ろうとい うもの。それをここ数十年で完成した国がいっぱいある。食べ物が足りなくて死ぬ人 がいなくなった世界、じゃ、今の時代になにが重要か、次の目標として何を見出すか、 そこに今自分達はいると思っている。俺はこれだと思うというのを提示するし、それ をたくさんの人がやるべきときだと思う。

俺が考えてるのは「作ることの喜び」作ることの喜びを見出したことで、サルから人 間になった過去がある。じゃあ何を作ればいいかというところで、ほとんどの人はや っぱり芸術家にはなれない。いきなり白いキャンバスに絵を描きだす必然性、いきな り硬い石を削ったり、自分の内側にそういうものは、みんなは持ち合わせていない。 じゃあ普通の人が何を作るのかというときに、まずは衣食住をやることが重要だと思う。洋服が破れた、だから縫って見る。毎日三食作ってみる。土地が余ったらか野菜 を作って見る。建築だって、玄関まわりが空いたから何か作ってみる。それはとても 面白いことだと思っていて、スタートは芸術家とは違うけど、作りはじめさえすれば、 その面白さは芸術家と同等だと思っている。服をつくるでも、野菜をつくるでも、面 白い。野菜つくるにしても、「ああ、ここで雑草取らなきゃいけなかったんだ」「あ あ、こうやって雨が降りだしたときは」と学ぶことが多くて、様々なことが起きて面 白い。大切なことが起きる。入り口はなんにせよ、作ることに入っていくと、さまざ まなことを思ったりする。

今からどんどんどんどん、基本的には人間が働かなくていい時代がやってくる。ロボ ットがどんどん増えて、機械化される。あんまりやりたくない仕事はロボットがやる ようになるけど、ロボットにやらせないで、自分でやりたいこと、つまり楽しいこと。 ミシンで縫ったら3秒だけど、俺が縫ったら15分。でも縫うこと自体いいぞと、作 ること自体の面白さを見出していくことがいい。作ること自体の楽しさ、それを忘れ てしまうとだめで、ものをつくる「面白い!」「理屈わかった!これでもっともっと つくれる!」とか、そういうことが大事ではないかと思う。

 

– 19th Feb. 2017, 東京・田町にて / 岡啓輔 (取材・編集 はしもとさゆり)