(滝本)16年5月、大玉村訪問後記、種まき

 

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0430 午後、兄の結婚にあたる両家の顔合わせを終えて、浅草へ大玉村に向かうワゴンを借りに押上へ向かう。一 般企業におそらくは定年まで終身雇用のようなかたちで勤めるのであろう兄と、自分の生活との差異や交差点につ いてぼんやりと考える。兄のような人種と自分の今後の活動との重大な交差点はおそらく住宅(住まい方)に関してで あろうが、兄の特別な嗜好や執着に関しても知ること少なく交差点の見通しの悪さを歯痒く思う。

押上に到着し、ニコニコレンタカー押上(スカイツリー)駅前店にて 8 人乗りのワゴンを借りる。これまで 4~5 人で動 いていたため割合小回りが利く車をレンタルしていたが、今回は大玉村に向かう人数が 7~8 人とのことで普段より少 し大きめの車のレンタルとなった。今後 10 人 20 人となれば大玉村への足も予算との都合でまた考えねばならない だろう。押上から浅草ハウス(大塚ビル)へ向かう道中、隅田川にかかる言問橋をわたりながら気持ちが少し臨戦態 勢に切り替わるのを感じる。普段ボーッと歩きながらわたる橋と違い、かなり装置的なモノとして感じられ、また高速 道路を走るときも入口と出口で世界が急に接続され気持ちが無理に切り替えられることを思い出す。この装置的な モノに関しては今後も考えたいことのひとつである。

19 時ごろ浅草ハウス(大塚ビル)に到着するとすでに成平さん、史さん、千晶さんが到着している。史さん千晶さん はこの春から染織について学び始める東京藝大の学生であり、一度話の筋を聞き参加を考えることになっている。 しばらくして歓さん到着。未来さんも現れ、カブカレーをいただきながら成平さんが編集してくれた前回大玉村訪問 時の記録動画を交えて、なぜいま大玉村で藍染をすることになったかを説明してくれる。一通り説明がおわったあと、 史さん千晶さんの顔をみたが一緒に行くかはもう聞かなかった。彼女らは藍の栽培が成功し藍染を製品として制作 することになるときには確実に必要となる人種であろう。すでに大学での専攻と学外での生活が結びつきつつあるこ とを羨ましく思う一方で、コンテクストの強い今回の活動にいきなり巻き込んでよいものだろうかともおもったが、判断 は彼女らに任せた。

0 時頃研吾さん到着。上着の下に薄いダウンを着込んでおり、体調を心配する。風邪は引きやすいがへこたれな いから大丈夫だそうだ。しばらくして何時ごろ出発するかを話すも、仮眠をとるという意見は未来さんからしかでず、 結局 1 時頃出発することになる。1 階で寝ていた川田さんも起き出して総勢 8 人でワゴンに乗り込み出発。到着予 定時刻は 4 時頃であった。途中、休憩をとりながらぼちぼち向かっていたが 5 時ごろ二本松 IC に到着し、近くのコ ンビニに車をとめる。すでに雨足は強まってきており心配していたが、天気予報を見たところ昼過ぎにはあがるよう である。剛平さんも小国を出る頃だろうと思い、8 時頃到着しますと連絡し、すこし仮眠をとる。

7時半ごろ歓さんにそろそろ出発しようと声をかけられ目覚める。雨は小康状態で少し安心しながら再び出発し、 ナビを見ながら彦太郎さん宅に向かうが道を行き過ぎたようですこし迷う。あたりの風景が彦太郎さんの家の周辺と 違う気がするねと歓さんと話す。歓さんと一緒に大玉村へ来るのは初めてであったが、風景が共有されていることを 少しうれしく思いながら引き返し、8 時過ぎごろ彦太郎さん宅に無事到着し車をおりる。

 

彦太郎さん家の前で彦太郎さんと奥さん、先に到着していた剛平さん、ムギが迎えてくれる。今回ようやく藍の種 を蒔けることからか、彦太郎さんの表情も明るく見える。彦太郎さんのような実践者の明るい表情はすごく安心感が あり前向きな気持ちになれる。初めて彦ハウスに上がらせてもらう。彦ハウスはおよそ 5 間×10 間ほどの巨大な民家 である。土間から上がる床は高く、鴨居は低く、そのものの広さ以上に異様な広がりを感じる。さらに天井からはシャ ンデリアがかけられ、ピアノが置かれており以前は演奏会も行ったというから、その自由でおおらかな使われ方もオ モシロい。押入れから机をだしてならべ、彦太郎さんが声をかけた村の人たちの到着を待ちながら、小豆のおにぎり を戴く。車の運転で気が張っていたからかあまりお腹は空いていなかったが、一口食べるとすごくおいしくて食欲が 湧き 2 つほど戴いてしまった。

しばらく話し合いや種まきの段取りについて話し合い、村の参加者も揃ったところで自己紹介をする。今回は南相馬で藍の栽培から染めまでされていたが 3.11 の震災と原発事故後に大玉村に移られた後藤さんという方も新たに来られていた。今まで自身でなされた染物をだしながら嬉しそうに話す姿には心打たれた。彦太郎さんの人柄が またこのような人を呼び寄せるのだろうと思う。自己紹介もほどほどに藍の栽培についての話になる。肥料などにつ いて何をどれくらい、どこで、いくらで調達し、どの時期に作物に与えるかという具体的な話になればとんとん進むそ の判断の早さは心地よく、何もわからないながらもただフンフンと頷いていた。

昼頃雨も上がり、一通り自己紹介やの藍の栽培の話にひと段落がついたところで、剛平さんが用意してくれてい た藍の種を蒔く段にうつる。てっきりいきなり畑に蒔くものと思っていたため汚れる格好で来ていたが、まずは小さな ポットが 12×12 個ほど連結されたトレー10 個ほどに蒔き苗を育ててから畑に植え替えるようである。小さな種を小さ なポットに落とす作業もかわるがわる行い、種蒔きは 30 分ほどで終わる。途中、藍の栽培に適した土質(畑がアルカ リ性か酸性か)については考えているのかと村の方から問われ気になり、剛平さんにも聞いてみたがそうだねとの生 返事で、とりあえずやってみないと始まらないのだ藍の生命力に任せてみるか程度に考えておくことにした。

種蒔きを終え、庭にあったカリンの木の下に転がる実を割って数個の種をもらい、彦ハウスに戻ると昼食の準備 がされていた。ふきのとうは写真でしかみたことがなく食べたのははじめてであったが、想像通り少し苦く酒が進みそ うな味であった。

食事を終え、剛平さん歓さん研吾さん未来さんがそれぞれの活動と大玉村での活動を絡め話す。剛平さんから は水による放射線遮蔽効果の応用事例として水を満たしたポリタンクで放射線を遮蔽した空間をつくれるとのことで、 剛平さんの入出力するものはいつも市民にひらかれた形になっていることを実感する。自分の入出力のスタイルも そうありたいと思うが、まだ入出力の速度が遅すぎ、まだまだである。これは意識的に訓練せねばならない。歓さん からは「東南アジアと学びの場」と題しての発表。研吾さんからは SATOYAMA 学校として、このような場を「学校」と いう共同体として考えようというもの。両者ともに学びの場についての発表であった。自分自身剛平さんに誘われ、 彦太郎さんはじめ巻き込み巻き込まれている人々、また大玉村という土地からも学ぶことが大いにあり、そこで学ぶ ことの多様さを楽しんでいることに気付く。高山建築学校を端とするつながりから生まれている関係であることを考え ても、運動体がそれ自体を「学校」として活動する場の豊かさは確からしく、意識的に「学校」と呼称することの意味も 得心する。最後に未来さんから藍染の試作と制作している鞄の紹介。絞り染めした大きな布を広げながら気持ちよ さそうに話していたのが印象的であった。透明感のある藍色の大きな布が風をまとってゆれる姿は見ものだろうなと 思う。

それぞれの発表と村の人との意見交換も終わり、藍の栽培に用意してくださっている畑を見せてもらいに移動する。 裏山の少し登る小道には三つ葉が生えており、川田さんはすぐに採って食べていた。畑は 200 平米程度、地面は 平坦でなく少し凸な曲面になっている。見晴らしのいい緩やかな斜面だが、今日はあいにく曇天で安達太良山は ぼんやりとしか見えない。脇の谷には川が流れており、そこから水を取り濾過して十数世帯に配っているそうだ。彦 太郎さん考案の濾過装置をみせてもらう。泥が溜まるため濾過の流れは上方向に進行するようにし、下に溜まった 泥は濾過装置下部に取り付けた蛇口をひねればドバッと排出されるよう設計されたものである。単純な機構である が、すぐに製作し生活に取り込んでしまう実装力は里山のような環境からの要請のなかで育まれたのであろう。彦ハ ウスへ戻りながら、11 年のトマトは病気にかからなかったこと、バラの花が例年以上に見事に咲き狂ったように香りを 漂わせていたという話を聞く。また実験として微量の放射線を含む灰をトマトに与えてみることを検討しているそうだ。

15~6 時頃彦太郎さん宅を後にして、岳の湯温泉へむかう。大玉村には数回来ているが毎度のコースである。温泉 をあがり、しばらく夕涼みをした後とんかつ屋の成駒で食事をとる。今回の種まきから(うまくいけば)早くて夏ごろに はもう生葉染めができることになるが、どんなものを染め、どのように価値をつけ商品化していくかの話になる。いくら か案が出るが、ここはまた藍の収穫前にでも時間をとって決めていかねばならない。店をでて、駐車場で高木基金 の使い道について少し立ち話をする。ひとまず交通費については一回あたり 3 万円を東京発着の車にあて、足が 出た分はみなで割るということで落ち着いた。

東京への帰路の中、現在製作中であるこの活動の記録を外部に発信共有するための Web ページについて考え る。 剛平さんの研究や彦太郎さんの濾過装置と同様、当然外部/市民にひらかれたスタイルでなければならず、片 手間に参加する人間の集団で編集するためにそのシステムの原理は内部にもひらかれたものであるべきなのであ ろう。

23 時ごろ浅草に到着する。皆ぐったりとしており、会計をして解散。自分もその場ですぐに寝入ってしまった。