(佐藤研吾)“SATOYAMA学校”の開校にむけて

 

藍の種まきから改めて始まろうとしている福島県大玉村での活動は、私たち(私)にとっては東京と大玉村の間を何度も行き来する長い旅のようなものになるのなのだろうかと考えている。毎回とても短い時間だが、東北自動車道を通って大玉村を訪れ、田んぼの間を歩き回り、安達太良山の伸びやかな姿を眺め、最後は岳温泉に入って東京に戻る。今回は初めての春の大玉村を見るのが少し楽しみであった。

一方で、私は毎回、大玉村で何かを学び取ろうという気持ちで来ている。何か学ぶこと、大きな知りたいがことがあってこの旅を始めている。2011年の福島第一原子力発電所の事故以降の、林剛平が中心となって土壌及び生物個体内の放射能の測定から大玉村との関係はスタートしているが、自然環境と村の人々の生活との間の密接な関わりが在るが故に、測定作業を村の状況を知るための一つの切り口として、大玉村が持つ自然との共生の在り方(=里山の暮らし)を学ぶ、さらには捉え直す・やり直すことができるのではないかと考えた。”里山”という言葉は一般に、人間が手を入れた自然の山のことを指す。人々が生活の資本とし、また当然そうするために自然との共存関係を維持しなければならない場所でもあった。そして、”里山”という言葉は山の部分に限らず、人々の家や田畑を含むより広い領域も意味する。作業はゆっくりとしたものになるかもしれないが、人間の生活と自然環境の関わりの在り方を考えていくための学び時間を、大玉村の中で作りたいと考えている。

これからの目標について

藍の栽培、藍染は大玉村の現在の特産というものでは決してない。今回の種まきが村の中での初めての試みと思って良さそうである。けれども一方で、藍染は本来はある地域の特産などになるものでもなく、木綿の普及と共に江戸時代頃には広く一般の人々にとって馴染み深く使われてきたものでもあったという。けれども藍染は明治時代以降の衣服の機械生産に伴う合成染料のの発達とともに人々の生活から姿を消した。手間のかかる藍染は価格競争に淘汰されたのであるが、一方で染め作業の中化学的反応の過程を含む藍染の可能性全てを我々が知っているわけではないだろうとの考えも容易に浮かぶ。

そんな藍染めを大玉村で始めてみようかと提案したのが前回の大玉村ミーティング(2016年2月21日)であった。まずは種をまいて収穫できないと話にならないが、けれども藍染が持つ「美しさ」をその会合に参加いただいた人の中で共有することができたのではないかと思う。藍染の「美しさ」とは、染めた色の美しさに限らない、それは藍染から映し出される”人々の生活の美しさ”ではないだろうか。種蒔きから始まる作業を通じて考えてみたいことである。

2016年5月1日 佐藤研吾