(林剛平)大玉村小さな藍祭りを終えて

道具と協同作業をテーマに開催した今回のお祭りは、大玉村玉井地区に留まらず、周囲の市町村から100名近い多くの参加を得ることができた。午前に催されたWSをきっかけとして、集まった来場者の滞在が長く続いたことは、彦ハウスの持つ蓄積された場所の記憶との接続を感じることができた。あの場所がかつて生活の場として活発に躍動していた時に流れていた涼風を偶然にも呼び起こすことができたのだとしたら、次回に繋がる達成と言える。ファッションショーの舞台準備として人が一同に縁側と庭の間の道を見つめ、砂利を寄せて、砂埃を防ぐために水を撒き準備している風景は、道という空っぽを維持する場所の祝祭時の豹変への備えと高揚感を目の当たりにすることができた。

20046547_488978841442736_7552602766748179398_n
当初の目論見は、昨年の村祭りの経験から、一過性の祭りではなく、これからの藍栽培の日常的な作業への導入であった。そうした意味では、自発的に藍を育ててみたいという方が祭り中に20名程度集まったことは、想像を越える反響であった。歓藍社が、どのような藍染を成すかということが見えてくれば、この繋がりは独自の持続力を持つようになると思われる。しかし、歓藍社を主語に語る時の違和感、方向付けの弱さが今回露呈した。各人の自発性を流動的に伝播する配慮と備えがあれば、と思う。想像することと実践を繰り返すためにも、このことは覚えておきたい。

今回の道具として、ゴロゴロ染めの内径120㎝深さ50㎝重さ250㎏コンクリート皿と、直径35㎝重さ20㎏欅玉を作成した。建築的打設と遊びや踊りという身體性が、農産物と染色を繋ぐという目論見は、一年の潜在時間を経て、具現化された。コンクリート打設の為のスケジュールは、滞在制作の主軸となったし、完成前から井戸のふたを利用して試したプロセスは、時々刻々と形が意味を成していく現場であった。こうした、意識の中心に上る現場と、そこから見落とされる現場をバランスすることは、先に述べた留意に繋がる。この道具を道具足らしめる一つの話を聞いた。「手が青く染まることが日常の仕事への支障をきたすため、今まで藍染に参加できなかった。この道具によって、初めて染に参加することができた。手でできないことを可能にすることが道具というモノだとおもう。」ゴロゴロ染めの道具は、初日のECフィルムの中にも、類似のものを見ることができた。意図を越えた重なりがもたらされると言うことは、モノつくりや、祝祭時の醍醐味だろう。作業行程で、スポットの当たっていない場所を見つめ、道具を作ることや、関心を持つ人を増やすことは、今回の祭りの帰着点であり、始まりである。

祭りの翌日、燕の孵化を祝う燕の群れがロコさん宅にやってきた。その日の夕方には、竹をもらった林に、クマが出たという。あの日の雨や、そうした出来事は忘れることができない。