(佐藤研吾) お祭りを通して歓藍社の活動を歓藍社の中から眺め観る

 

お祭りとはある運動の力を一気に表出させるものだ。そして出来得るならば、その場所に胎動する力なるものを表現するものだ。たった二日という短い期間であるが、これまでの活動が何であったのか、そしてこれから自分たち歓藍社は何をやろうとしているのか、そんな運動の核なる部分を確かめる契機でもあった。そんな気持ちと雰囲気は、おそらくはメンバーが無意識にも共有していたところであると思う。

お祭りの会場となった彦ハウスの中で展示した活動紹介の冒頭で、自分たちの活動について二つの言葉をあてている。それは「道具の発見」と、「共同作業」。道具の発見と言うと、思わずスタンリー・キューブリックのモノリスを目の前にしたサルが棒を手に取って振り投げるシーンを思い起こしてしまう。が、そんな文明の大流に乗っているのかそうでないのかは別として、そもそも、道具の発見という出来事には作業の質を変容させるだけではなく、作業を行う者の動機自体を前進させる起爆性がある。そして、その起爆剤の投下によって、さらなる作業の工夫、道具の発展につながっていく。けれども歓藍社の活動は、効率性を求める機械化の動きのそれではない。作業の中に常に遊戯性の膨らみを含ませているのだ。それがまた、作業を行うメンバー自身の動機、つまり個々人の世界観の模索と構築の機会を与えてくれる。歓藍社の活動を「藍染めをやっています」の言で到底言い表せないのは、その活動の形成と持続のメカニズムに独特な、合理的でもなく時には倫理的でもない、それぞれの私性と呼んでみるしかない動機要因が色濃く存在するからである。私はそこに大きな可能性があると思っている。

 

お祭りは一人ではできない。チンドン屋まがいの一人芝居を笑い飛ばすように、お祭りは複数人の協同を必要としている。今回の生葉の叩き染めの応用である巨大な玉と大皿を使ったゴロゴロ染めは、そんなお祭りの本質に上手く応えるものであった。道具の巨大さと重さゆえに、その道具を扱うための何人かの人間の力が必要となった。何人かが体全身を使って道具を動かす。近代の手前の、前機械化時代の人間が動力であった頃の風景である。道具を大きくし、労力を増やす。世間の縮小化、省力化の流れとは完全に逆行している。けれども、それは決して後戻りの意識ではない。おそらくは何かが削ぎ落とされたであろうという素朴な危機感、かつて近代都市に対して「悲しみ」という言葉をあてた建築史家・鈴木博之の言葉を借りれば、「崩壊の危機意識をバネにした全体性恢復の試み」(*1)という運動の原動力となり得るものではなかっただろうか。

 

そして、そこには探し求めるべき表現があったはずだ。一体何の表現かといえば、それは時間の表現である。最終的な結果としての染められた布だけではない、道具作りから染めの作業に至る膨大な時間自体が、この道具の発見から生まれた表現である。

出来上がったモノと出来上がるまでの時間=プロセスとの関係を、もう少しだけ精緻に考えてみる。ゴロゴロ染めの作業には、その道具の大きさと重さによって人の力では十分にコントロールしきれない不安定さがあった。ともすれば手が大玉の下敷きになりかねないスリルと、一度動き出すとその動きの加速度になかば身を委ねながら力を入れるしかない、人力に対する道具のわずかな超越さである。コントロールしきれない不安定な作業から生まれたモノは当然ある一つの答えに収斂しない。大玉の加速度と軌道に基づいて布に擦り付けられた藍の色素の分布は粗々しく、文字通りゴツゴツとした粒子がそのままにシミのように定着している。けれども人力で動かしている以上、それはランダムと呼ぶようなオートマティズムではない。そこにはいくつかの実験意思の交錯の結果と見ることができる。出来上がった図像を分析することは難しく、またその分析にどこまで意味を見出せるか考えるまでに至っていない。けれども、このゴロゴロ染めの作業で見えた実験意思の交錯の有様は、歓藍社の運動自体の抽象模型(=モデル)であったのはないか。そんな直観がある。

この小文を書く中で、「運動」という言葉が幾つかの次元で、まさにゴロゴロと加速度的に回転(=evolve)し始めている。

 

(*1 鈴木博之「私的全体性の模索」『新建築』、1979年10月。)

 

2017年7月31日

佐藤研吾

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ゴロゴロ染めの様子(写真:Yoshihiko Takeuchi)

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大皿の中。ケヤキの大玉がゴロゴロと生葉を擦り付け、下に敷いた布が染まっていく。